嫌煙権 ふたたび

 もう、10年以上前になるのですが、嫌煙権に関する本を読みました。
 喫煙シーンが出てくるような番組を放送して良いかどうか(判断能力がない子供が真似しないか) という議論もその中にあったと記憶してます。基本的にはその主旨は分かりますし、賛同します。

嫌煙権を考える (岩波新書)

嫌煙権を考える (岩波新書)

 ただ、映画『スカイ・クロラ』に対する今回の日本禁煙学会の言説というのは、もうホントに稚拙で、映画を見てないか、あるいはもう全然、理解する力がないかとしか、判断できないです。
 しかも押井守があらかじめ、嫌煙家の活動を予想して、いたずらを仕掛けたのに、まんまとはまったようにも見えます。
  
 

ベネチアも当然、こういう「空気」の中にあるわけですが、このことを知った上で、このような映画を出品なさるのでしょうか? 「空気の読めない」方々だと言われなければよいのですが・・・。

 というのが、日本禁煙学会の主張。
 ちょうど、『スカイ・クロラ』の副読本のような形で出た

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

では

 見終わって、何の発見もない映画は駄作だ。エンタテインメントとしてどれほど優れていても、どこかに「なるほど」と思わせる新たな価値観や、新しい視点が盛り込まれていなければ、その映画の価値は低い。
 同じように、社会評論を生業としている人間は、常に新たな言葉を発見しなくてはならない。(中略)
 現実には報道をストップすることなどできないのだから、もっと有効な言葉を使って、この社会を分析していくしか、評論家やジャーナリズムの意義はないのではないか。(中略)
 それどころか、「KY」といった若者言葉が突然脚光を浴び、いいオトナがそれをまねて使う。(中略)
 こんな若者言葉を面白がって報道したり、模倣したりしている場合ではないのである。

 p.174〜
 
 

この作品を見た誰かが、僕には映像にすることはできても、言葉にすることがとうていできなかった何かしらの本質のありかを、ずばりと言い当ててくれたらうれしいと思う。

 p.177〜
 
 
 日本禁煙学会の方の意見はこう。
 

質問させてください。
(中略)
2.喫煙シーンは、この作品になくてはならない、というものでないと思われ
ますが、なぜこれほど多くの喫煙シーンを取り入れているのでしょうか?

 
 喫煙シーンが『スカイ・クロラ』になぜ、取り入れられているか分からない。不要なはず。と、おっしゃっているわけです。
 
 子供に見せたくはない、というなら、まだしも、「なくてはならない、というものではない」というのは、すごい。
 これは、恥ずかしい。