『ディファレンス・エンジン』はサイバーパンク サイバーパンクとは? スチームパンクとは?
某所で、ほにゃららさんが「スペキュレイティブ・フィクションって…」と書いてましたが。
正面から定義を聞かれたら「それより、今年の『このミス』って、『テンペスト』は対象になるの?」とはぐらかしていたでしょう。
では、池澤春菜に「サイバーパンクって、何かしら?」と聞かれたらどうするか。
「それより、愛について語りましょう。一目惚れを信じますか?」とやっぱり、はぐらかします。彼女の手も取るに違いありませんが。
とにかく、サイバーパンクの定義は難しい。
スチームパンクはその点、簡単です。
それで、こちらのお話ですが…
スチームパンク/サイバーパンク - 伊藤計劃:第弐位相
「ディファレンス・エンジン」はスチームパンクじゃありません。
え?だって蒸気コンピュータの話でしょ?なのになんでスチームパンクじゃないの?スチームパンクじゃなきゃ何なのさ、と思う方がいらっしゃるかも知れません。まあどうでもいいっちゃ心底どうでもいい話なのは自分でも認めますが、それでも一応書いておくと、
「ディファレンス・エンジン」はサイバーパンクです。
ううむ。
ううむ。
あれはサイバーパンクなのか。ええ、でも、サイバーパンクってのは…。スチームパンクってのは…。
”スチームパンク”という言葉をご存知でしょうか。
一九八七年に第五回フィリップ・K・ディック賞を、『ホムンクルス』で受賞した際にジェイムズ・P・ブレイロックが語ったコメントに出てくる言葉です。
(略)『アヌビスの門』と同様に、この作品も十九世紀のイギリスを舞台にした一風変わったファンタジイだったところから、当時騒がれ始めたサイバーパンクに引っかけた一種のジョークだったわけですが(略)
『奇人宮の宴』p.391(安井久生)
ある人はこれらの作品をまとめて<マッド・ヴィクトリアン・ファンタジイ>と呼んでいますが、いきなりこの時代がSFやファンタジイのトレンドのようになってしまったのはなぜでしょうか。
種を明かしますとなんのことはない、いまあげたパワーズとジーターの二人とも、ブレイロックの親友なのですね。
(略)
それに対するジョークのつもりだったのでしょうか、三人は十九世紀を舞台にする自分たちのことを、(略)サイバーパンクをもじって、<スチームパンク>と呼んだりもしています。
『ホムンクルス』p.390(山岸真)
おお。
そしてここで、すでに、
(略)「ミラーグラスのモーツァルト」というのもありました。いずれも(※)ピカレスク・ロマンの背後で技術と社会の関わりを見据えている視点はやはりサイバーパンクならではのものですが、(略)
という言及もありますな。
※ ここでは執筆予定の『ディファレンス・エンジン』のこと
この三人ともが、現実とは少し違ったヴィクトリア朝イギリスを舞台にしたマッドなファンタジイを書いていた。これをあるときジーターが、サイバーパンクの次の潮流は蒸気駆動の時代だ、と冗談で命名したのがスチームパンク。三人は”マッド・ヴィクトリアン・ファンタジイ”ばかり書いているわけでも、運動を意図しているわけでもなかったのだが、ことは冗談では終わらなかった。十九世紀は産業社会と科学文明(そしてSF)の原点であり、その歴史を改変することは、現代(とSF)を根底から問い直すことにつながるからである。改変された十九世紀を舞台にしたギブスンとスターリングの九〇年の合作『ディファレンス・エンジン』は、そうした発想をサイバーパンクのスタンスで真正面から描いたもの。
『80年代SF傑作選(下)』p.551(小川隆・山岸真)
なるほど。
この文脈なら確かに『ディファレンス・エンジン』はサイバーパンクですな。
うう、でも、スチームパンクではない とはいいづらい。
ところで、サイバーパンクの定義が難しい。
『マイクロチップの魔術師』『タクラマカン』『スキズマトリックス』『赤い涙』『この不思議な地球で』をざっと、読んでみましたが定義がちゃんと書かれてない。『新SFハンドブック』も見たんですが、サイバーパンクが起きてこうなったとは書いてあるんですが、サイバーパンクとは何か というのがあまり書かれてない。
思い起こせば…『ニューロマンサー』を初めて手に取ったとき(あれ、『カウント・ゼロ』を先に読んだかも)、ずいぶん当惑したものです。サイバーパンクって知ってるでしょ? みたいな感じで書いてあって、初心者SFもののあたしは呆然としたのです…。しかもSFマガジンで特集が組まれてたので読んでみたら、余計わかんなくなってしまった。
と、記憶してます。
手元に『ニューロマンサー』がないので、今度、確認してみます。
スチームパンクについては『悪魔の機械』に詳しかったと記憶してるのですが、手元にありません。